おしごと

2003年12月9日
あちのおしごとは、
たびたび ひとの生死にかかわり、
(とくに死はいつもとなりにいる)
それはそれは
心身ともに たいへんなおしごとで、

はじめのうちは

ひとのなげた いのちや、
うばわれた いのちのおもさに
うちのめされて

私にはいわなかったけど

とてもくるしんだようで。

私がきづいたときには
ひきずりおろされそうになっていた。

犯してもいない罪のおもさに。


それでもあちは、
あちのともだちの
きびしいことばのおかげで
どうにか 
そのくらやみに すわりこむことなく、

私のいかりも
すこしはせなかをおすことができたようで、

いまでは すっかりまえをむいて
まいにちおしごとをしている。


さいきんおしごとのはなしをきいた。

おしごとのはなしというよりは、
おしごとちゅうの
せんぱいとのかいわ。


それをきいて、
まず私は
びっくりして、
かなしいようなきもちになり、
ただしいことだとはおもっても、
どうにも なっとくがいかず、
でも
なにもいえなかった。

せんぱいとの、
ひとのいのちのおもさや、
のこされたひとのかなしみをかんじさせない、
じょうだん。


あちは すっかりまえをむいて
まいにちおしごとをして
もうそんなことも
いえるようになったんだね。

それはきっと
あちがこれからおしごとをつづけるうえで
あちがきずつかないために、
どうしてもひつような なれ だ。

血まみれになって
すべてをうけとめて
それをおしごとにするのはむりだもの。

あちがなかずにすむために
どうしても 
かんかくをまひさせることがひつようなんだ。


でも、

あちがまいにち ちょくめんしているばめんは、
まいにちを
死ぬとか生きるとかわすれて
こい とか
しゅうしょく とか
かだい とか
にかけている
私みたいなひとには、

いっぱんに
普通といわれる生活をしているひとには、

どうしたってうけいれがたい
どうしたってかなしまずにはいられない
そんなできごと。


それをわすれないでほしいとおもう。


あちは
おしごとをしているとき
いっぽんせんのむこうがわにいる。

それを、わすれないで。

たまにでいいから、
私とすごすほんのすこしの時間でいいから、
こっちがわにきてほしい。

ひとの死を事務的に処理するかんかくから、
もどってきてほしい。


あちが
そのせんぱいとのじょうだんを私にいったあと
私にむけた えがおはたぶん
すこし
こわばっていた。

私のかおがこわばっていたからかな。


あれはせんのこっちがわにもどってきたしゅんかん??

私はせんのむこうがわから、
あちをひっぱることができるのかな??


そう、なりたいよ。


********


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